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育っていく様を見ていると

 おはなしの会をしていると、赤ちゃんから幼児、小学生の子どもたちと出会います。年齢差のある子どもたちと出会うことは子どもの育つ課程を感じることにもなっています。今は子育て経験があっても3人以上育てたという経験がある人は限られます。そのため子どもの年齢の差で育ちを感じるより、次々と対応に追われて前の時期を忘れていく形の子育て経験となることが多いと思うのでこの育つ過程を感じることは、私たちにとって大きな財産です。

 おはなしの会での子どもたちの聞き方から人間がどう育っていくのかが垣間見えると感じています。お家の人のお膝で聞く赤ちゃん世代は好奇心の塊です。興味があれば集中しますが、興味がなければお付き合いで聞いたりはしません。そして他の子の反応に釣られることもありません。ただお家の人の反応を伺ったりすることはあります。迷った時に頼りになるのはお家の人だと赤ちゃんが感じているからでしょう。

 そして幼児になり保育園、幼稚園での生活を経験していく世代は、集団のルールを少しづつ身につけている時期なのだと思います。集団生活で先生の指示に合わせること、そのための作法を伝授されてきているので、おはなしの会の間は口を閉じるといったルールに合わせようとします。思わず声を出してしまってもルールを思い出せば守ろうとします。集団にはルールがあり守ったほうが過ごしやすいことを知る時期ですが、おはなしの会だけやっている私たちは、赤ちゃん世代の遠慮のない素直な反応もいいなぁと思っていたりします。

 小学生になると、おはなしの会でのお約束という単純な集団のルールは無理なく守れるようになります。集団生活が長くなり慣れてくることと、他の子どもたちの言動に以前より影響を受ける世代だからだと感じています。この世代になると自分と他の子どもを比べて相対的に捉えることに興味が出てくるように見受けられます。他の子ができることをできるようになりたいとか、他の子ができなくて困っていることを助けようという集団としての効用が始まるのもこの時期かと思います。幼児期に他の子の言動を注意したり世話を焼いたりしている子もいますが自分のためにしている感じで、集団のためにしている感覚が出てくるのは小学生からだと感じています。例えばおはなしの会で声を出したり動いたりして聞く環境を乱す子に幼児はうるさい子よりもうるさい声で注意しますが、小学生になると声に出さずに聞くことを守りながら聞く環境を整えようとします。うるさい隣の子を睨んだり突いたりして瞬時に黙らせる様子に語り手は励まされ、語り手になって良かったなぁと思ったりします。

 こうやって子どもたちが育っていく様をみるにつけ、私たちは集団で暮らすようにできているのだと感じます。おはなしの会はひとりで聞くものではなく集団で聞いてこそのものかもしれないと感じています。