一緒がいい

 ストーリーテリングをしていると、集団と個の関係を意識することが多いと感じています。ストーリーテリングは集団に語るものですが、視線を合わせていくので個も感じています。子どもに語る時に視線が合うか合わないかは物語についてきているのかの一つのサインです。物語に入り込んで展開をきちんと受け取っている子の視線は強く、語っている側は先を促されているような気持ちになります。最近は音の情報を受け取ることに困難を抱えている子どもたちもいて、その場合は視線が合うか合わないかで判断がつかないこともありますが、一般的には視線を合わせていくことが物語を伝える基本です。

 そして一人一人の視線の集合体が語り手にとっての集団なので、集団によって聞き方が違うと感じることは珍しいことではありません。どう聞いてもらったかは語り手の集団に対しての印象です。こんな聞き方をしているという一人に焦点を当てて見ているわけではありません。語り手にとって理想的な聞き方をしてくれる子がいたとしても全体としてどうだったかを感じられることが大事です。

 また聞き手同士も影響し合うと感じています。他の子がどう聞いているのかをお互い確かめ合っているわけではなくとも、同じ場所で同じ話を一緒に聞いていることが一体感を生み出します。わかりやすい例だと物語を受け取ることに慣れていて上手に受け取ってくれる子が生み出す力です。そういう子どもは場の核になって無意識に周りの子の聞く力の底上げをすることがあります。集中して聞いていることの影響力というのは侮れないものです。核になる子が複数いると集団として聞く際のまとまりが強くなります。

 ストーリーテリングに関しては、集団で集まって聞くことのメリットが大きいと感じています。コロナ禍で大人数で集まることが難しいとしても、集団で聞く場を確保することがストーリーテリングでは必要だと思います。成り立ちを考えても一対一で楽しむものではないので当たり前と言えば当たり前ですが集団で聞いてこそのストーリーテリングだと改めて思いました。