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私たちが読み聞かせを考える時

 今まで私は絵本を買うときは、実物を手に取ることができる本屋さんで絵本を選んできました。ところが外出を控える生活が求められるので本屋さんへいく機会が減り今まであまり目にすることがなかったネット書店や本の紹介サイトを見る機会が増えてきています。ネット書店などを覗いて見る様になって印象的だったのは読んだ人のコメントを載せていることです。手に取ることができない分そういった生の声を参考にして欲しいということでしょうか。ただそのコメントが本当に多種多様で驚きました。本の内容以前にコメントしている人が何を当たり前としているかの違いを目の当たりにする場でもあるのかと感じています。

 最近一番驚いたのは、『たんたのたんけん』中川李枝子/作 山脇百合子/絵 学研 を読み聞かせで使ったというコメントでした。コメント内容は「非常におもしろい物語で子どもたちも喜んで聞いたが、読み聞かせで使うには少し長いので つい早口になり口が回らなくて面白さが十分伝わらない場面が出てしまった」というものでした。具体的にどこでどう読んだのかは詳しく書き込まれていなかったので正確な経緯はわかりませんが、なぜこの本を読み聞かせに使おうという発想になるのかとても気になりました。コメントを読んだ印象では、自分で読めないから読んで聞かせるという発想が根底にありそうです。この長さの物語を読んで聞かせようという発想は、物語の楽しさを知って欲しいという読み手の並々ならぬ意欲を感じます。加えてコメントの中の早口になったというくだりで、親子で楽しんだのではないと感じました。親子で楽しむ時は時間の制限がない場合が多いので読み手が嫌々読んでいない限り早口にはならないからです。そのため、このコメント主は聞き手の立場をあまり想像できていないと感じました。読み聞かせの話をする時には、いつ誰がどこで誰に読むのかを正確に伝えないと伝えたいことが伝わらないと感じました。

 おはなしざしきわらしの会での読み聞かせは、集団に対する読み聞かせが大前提です。そして図書館でのおはなしと本の会以外は、保育園や小学校といった既に集団になっている場で読んでいます。このことを当たり前のこととして話をすることが多いですが、実はここをいつも押さえておかないと伝えたいことが伝わらないのだと思いました。