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長さを感じさせない

 先日勉強会で『かもさんおとおり』ロバート・マックロスキー/作 福音館書店 を読み聞かせで聞きました。私たちのおはなしの会の現場は聞き手の年齢が下がってきていることもあり、読み聞かせで聞くのは久しぶりでした。勉強会でこの本を読んだ人もあえて挑戦してくれたのだと思います。ロバート・マックロスキーのカモの絵はやはり魅力的で、遠目も利きますし物語として完成度が高いと感じました。そして読んでもらうことで絵に集中できるので絵を堪能できます。ただ如何せん長いと感じました。そして残念なことにそれは読み手の問題だと思います。勉強会なので読んだあとに読み手に手応えも聞いているのですがやはりうまくいかないともどかしい思いをしたようです。

 なぜ長さを感じさせたかといえば、読み手が物語の流れを感じていないからです。どう展開していくのか、今読んでいるところが物語の中のどの部分を支えるのかといった骨格が読み手の中に形作られていないと物語が一本調子になりメリハリがなくなり長さばかりが目立ってきます。そしてその長さを忘れさせようと場面場面で聞き手の気を引こうとすると聞き手は流れに任せて聞くことができず、読み手に付き合うことでくたびれてしまい物語に必要な部分を受け取れなくなっていきます。結果どんな話だったか印象に残らなくなってしまい、物語を渡すことができなかったということになります。

 今回読んでくれた人は、非常に観察眼のある人で絵本の細かい部分まで読み取ることが得意な人です。一羽一羽の子がもの表情や行動まで読み取ることを楽しむタイプなのです。そのため場面場面が独立してしまいがちですし、その絵一つで十分楽しみを見つけることができるので物語の流れが二の次になる傾向があります。けれど集団の読み聞かせでは物語の展開に関わらない部分をも子どもたちと一緒に楽しもうとすると成り立たなくなります。細部を楽しむには聞き手が満足するまで絵を見る必要があり一人一人に合わせるわけにはいかない集団では対応できないからです。そしてそういった物語の展開に直接関係しない表現は画家の遊び心の現れであり絵本を楽しくする要素ではありますがおまけの部分だと思います。集団に渡す際には自分が好きな部分からではなく絶対渡さなければならないところから渡す必要があります。

 また今回の読み手は子がもの名前の由来まで気がついているのに、気持ちよく口に乗ることを目指しているので聞き手になぜ何度も名前が出てくるのだろうという疑問を持たれていました。『かもさんおとおり』のような時代を越えて支持されてきた絵本は、必要がないものが何度も出てきたりしません。子がもの名前を物語内で繰り返すことに意義があるのです。『かもさんおとおり』はアメリカの絵本なのでこの名前は「待ってました!」と子どもたちに思わせるのだと考えています。「ジャック カック ラック マック ナック ウァック パック クワック 」という子がもたちの頭文字はアルファベット順になっていて英語圏の子どもたちが一緒に唱えたくなるような効果があるのだと思います。ですから日本語で読むときはこの「待ってました!」という感じを読み手が持つことで繰り返しの意義を表現します。実際声に出すと子がもたちの名前の羅列は楽しいものですし、繰り返していくともっと楽しくなるのは使う言語が違う日本の子どもたちでも一緒です。

 久しぶりに『かもさんおとおり』を聞いて、私たちは無意識に長さを感じさせない読み方をしていることに気がつきました。これは物語を渡すということに意識を集中させる副産物だと思います。