物語の受け取り方

 おはなしざしきわらしの会のブログの他に上田子どもの本研究所と名付けたHPでもブログを書いています。書き始めた当初は、別物としてくっきり線引きができていたのですが、最近境界線が曖昧になってきたと感じています。理由は、おはなしざしきわらしの会の語り手としての視点と子どもの読書について考える上田子どもの本研究所の視点は、結局のところ目指すところが一緒だからなのだと思います。子どもが聞いて受け取るか読んで受け取るかの違いがあるだけで、物語を物語として子どもたちが受け取ることについて書いているのだと思い至りました。

 この考え方に沿うと子どもたちがどう物語を受け取っているのかを判断することが重要になってきます。読んで受け取る方は、うまく受け取れていれば読書量が増えたり読むスピードが上がるのでまだ判断しやすいのですが、聞いて受け取っている方はその判断が曖昧です。ストーリーテリングや読み聞かせで子どもたちがどう物語を受け取っているのかは読むことのような数値的な判断基準は存在しません。そのため私たちに限らず様々な人が様々な子どもたちの反応を拾って受け取り方の理由づけをしています。語り手側の条件と聞き手側の条件も統一することが難しいこともあり比較が非常に困難な作業のため、ひとつ間違うと自己満足に陥る怖さがあります。

 そんな中で私たちが拠り所としているのは、語り手としての経験値なのだと思います。物語を渡せているのかどうかは過去の語った経験から推測している部分があります。そして子どもたちの目を見ることで物語の受け取り方の深度を感じています。目を見ていると物語を受け取り深く物語に入り込んでいる子は集団の中にいても見分けることができます。ただ難しいのは語り手の状態が一定ではないことです。語り方に問題があるとそういった状況は生まれないので聞き手だけを見て物語を受け取れない集団だと勘違いしてしまうことがあります。問題点がどこにあるのかを把握するには客観的な判断をする聞き手が必要になるので語り手としての経験が浅いうちは語り手が一人のおはなしの会はお勧めできません。おはなしの会をする時には複数の語り手が担当する理由はこんなところにもあります。