聞き手との共同作業

 ストーリーテリングや読み聞かせは聞き手に渡すことで完成します。聞き手が一人ではない分、聞き手の集団の状態は同じになることはありません。そして語り手も生身なのでいつも同じ状態ではないのです。そのため厳密に同じと言える語りは存在しないと言っても過言ではないと思っています。この一期一会な感じを好ましいと感じるか不確かで未完成なものと捉えるかは人によるのだと思います。もちろん同じにならないからといって、準備を疎かにしたりテキストを再現しようとしなくてもいいということではありません。長い間何人もの語り手が支持してきたテキストの言葉をきちんと再現できた時の物語の収まりの良さには目を見張るものがあります。そしてテキストの言葉を正確にイメージと結びつけるには時間がかかります。そういった準備を行い物語を自分のものにしてから語っても物語は生き物の様で相手によって微妙に姿を変えます。同じ人物でもちょっとした光の加減や顔の角度などで印象が微妙に変わる感じに似ています。

 ですから物語を自分のものにしたら、いろいろな聞き手に聞いてもらうことは語り手にとってとても大事なことです。語り手は聞き手がいてこそ語り手なのです。物語を自分のものにした所まででは道半ばです。また聞き手の息遣いやありようによっては、せっかく結びつけたイメージと言葉がバラバラになってしまったり、語り手の集中が途切れてしまい物語の中に留まれないといった練習しているときには起こらないアクシデントが起こることもあります。けれどそれもストーリーテリングの側面の一つです。滞りなく練習通りに物語が渡せるに越したことはないですが、だからといって間違わないことに意識が行き過ぎると聞き手をシャットアウトして壁に向かって語る様なものになってしまいます。ストーリーテリングで物語を渡す際には聞き手との無言のやりとりが必要で間違わないためにシャットアウトするのは本末転倒です。まずは勉強会で語ってみて完成したと手応えが持てたら子どもたちに聞いてもらいストーリーテリングの本来の姿を感じていけるといいと思います。