楽しさの先に

 物語を楽しむのは頭ですが、物語を伝えるには頭だけではうまくいかないと感じています。語ることは一発勝負でやり直しが効かないからです。そういった意味で語ることはスポーツに近く理屈だけではどうしようもないところがあります。理解したことが必ずしもできることではないため、わかっているのにできないというジレンマに陥ることもあるかと思います。けれどこれを解決する方法に近道はないと感じています。物語が物語として伝わる語りを聞き続けることと、物語が物語として伝わるように語り続けることしか解決方法がないからです。

 自分のことを振り返ってみても、今できていることをいつ体得したのかと聞かれても答えられません。ただ現在の語りをする私は、自分の過去の語りで作られていると思います。焦らずに今の最善を尽くしていけば欲しい形にいつの間にかなっていくものなのだと思います。そしてこの時間をかけて熟成していく感じがストーリーテリングのストーリーテリングたる所以だと思います。手編みのセーターと量産が可能な市販のセーターの違いのように、手間がかかり一期一会な仕上がりになるストーリーテリングに均一な仕上がりや量産やスピードを求めるのはストーリーテリングの良さが損なわれると感じています。

 今私たちの生活はそれぞれが与えられた課題の締め切りを守りこなしていく事で回っています。それは集団に入った段階から始まり、おとなになる前からトレーニングを積んでいきます。ですから私たちは締め切りや課題をこなすという感覚を忘れた方がいいような場合でもうっかり課題をこなす気になったりします。ストーリーテリングは課題をこなす感覚で取り組むと本来の姿にならないと思います。語り続けることと並行して物語をたくさん聞くことが大事です。物語が物語として気持ちよく伝わる話が聞き分けられるようになった頃にはいつの間にか物語を渡す語りになっていくのだと感じています。物語を聞くことはとても楽しいことです。その楽しさの先に語ることがあるのだと思います。