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物語を求めている?

 最近の総裁選と内親王の結婚問題一色のニュースを見ていると、世間は物語を求めていると感じます。マスコミという媒体の特色として視聴者や購読者の興味をいかに引くかを追求する傾向がありますが、そのためか知り得た情報を組み合わせて推測していくことも良しとしているように思います。情報を情報として伝えるだけではないこの推測や仮説は物語のようだと思います。関係者しか知り得ない裏事情といった形に整えられると、もはや情報というより創作の域に足を踏み入れているようにも感じます。まるで江戸時代の瓦版などの流れが脈々と受け継がれているような印象で、報道という言葉にはまりきらないのではないかと思ったりしています。

 民主的ではありますが総裁選という権力抗争や内親王の結婚は物語の題材として珍しいものではないと思います。時代や地域に合わせて総裁が王様になったり社長になったり、結婚は庶民からお姫様までバラエティーにとみますが根本的には変わらないテーマです。様々な物語の中で語られ、飽きることなく人々に支持されてきました。立場を問わずに普遍的な興味として多くの人が心惹かれる題材なのだと思います。現代においてニュースと物語は本来別物で混ざることはないジャンルだと思ってきました。けれど最近はこの境目が曖昧なのかもしれません。様々な要因があるとは思いますが、物語が足りていないのかもしれないと思います。

 私たちは代々物語と共に暮らしてきたのだと改めて思います。そして顔も知らない何世代も前のご先祖様たちの物語が時間をかけてより普遍的なものへと純度を上げたものが昔話なのかもしれないと思います。細かい設定が違うだけで大筋では見たことも聞いたこともないという物語はほとんどなく原型は既に完成されていて、それを受け継ぎながら物語と共に生活しているのが私たちなのかもしれません。大袈裟に言えば人類の営みのひとつとして物語を楽しむことは遺伝子に組み込まれているのかもと思うのです。大局的に見れば人間という存在は今も昔も変わらないと思ったりしています。