· 

子どもが受け取っているもの

 読み聞かせをしている人から質問を受けると、迷っていることや困ったことの根源は同じでどの質問も「自分の読み聞かせはこれでいいのか」ということから発生していると感じています。それは読み聞かせは読み方が大事でうまくいくかいかないかは全て読み方にあると思っていらっしゃるからだと思います。こういった考え方だと他の人の読み聞かせを聞いても絵本を見ているようで読んでいる人の読み方を聞いていることになります。そのため読み聞かせを聞いた時も読んでもらった絵本の感想よりも読み方の感想を持つことになります。そして「つっかえずにすらすら読める」とか「表情豊かに読める」などの読む技術を磨くことに心を砕き読み手が主役になる読み方を目指していってしまいます。けれど読む技術を磨いたにもかかわらず子どもたちが自分が想像したような聞き方をしないので混乱するというのが多くの質問から見受けられることだと感じています。

 子どもたちに読み聞かせをする際に大事なのは子どもたちが何を聞いているか意識することです。子どもたちは絵本が取り出されたらまずは絵が見たいのです。ですからどんな絵が描いてあるのかに注目します。そして絵を見ながら文章を聞くことで物語を受け取りたいというのが子どもたちが読み聞かせを聞く理由です。この単純で当たり前すぎることを読み手は失念していることが多いのだと思います。ここを飛び越して絵本が楽しい、心に響く、知的好奇心がくすぐられる、など絵本を受け取った先に意識がいくので読む技術に注目していってしまうのだと感じています。読み手は聞き手が絵本から物語を受け取り、活字を追わずに絵本を絵本として楽しむためのサポートをしているのだと思います。

 読み手に聞き手としての経験が必要なのは絵本を絵本として受け取ることがどういうことなのかを知るためです。気負わなくとも絵本の世界に誘われ最後まで心地よく物語の中に留まることができる読み方を聞くことで、どんなに絵本を楽しめるかは聞き手にならないとわからない感覚です。読んでもらったことがある人の方が読み聞かせをした際に絵本が主役の自然な読み方をすることが多いのはそのためだと感じています。読んでもらった経験は子ども時代に限りません。おとなになってからでも読んでもらうことが読み聞かせの本質を理解する近道です。