ストーリーテラーを目指して

 ストーリーテリングを始めた頃から将来は「私はストーリーテラーです。」と言えるようになりたいと思ってきました。そして今、時間はかかりましたが望んできたように「語ること」が身体に馴染んでいると思います。もちろんストーリーテリングをする時には緊張しますし、語ると言わなければ良かったと思うような重圧を感じなくなったわけではありません。何が違うのかと言えば物語を伝えることに集中する持続力が変わってきたと思っています。

 ストーリーテリングの語り手として学び出すとまずテキストに忠実に語ることを教えられます。伝承の語り手ではない私たちにとって、語るにふさわしいテキストを選んでテキストに忠実に語ることは大切なことだからです。そして、テキストがストーリーテリングの道しるべであり特に語り慣れていない人ほど答えをテキストに求める必要があります。現代に生きる私たちは物語を活字で楽しむことと耳で楽しむことの違いを知らないままストーリーテリングに取り組む事が多いのでテキストが重要なのだと思います。活字なしで聞いて物語を楽しもうとした時に何が重要で何が重要でないかはテキストが教えてくれます。例えば語り慣れないと物語の中で子どもたちに馴染みのない単語が使われているけれど大丈夫か疑問に思う人が多いです。けれどそのほとんどはその単語が分からなくても物語を受け取る事ができるものです。聞いて受け取る際にその単語の理解なしには進まない単語は何度も登場してきたり詳しく語られたりする作りになっています。語ることで伝えようとするストーリーテリングには聞き手が聞き落とすこともある程度想定に入っているのだと思います。具体的に全てイメージできなくても物語の展開についていければいいというのがストーリーテリングの特徴なのだと思います。また何度も聞くことで気がついていく部分があっていいように作られていると思います。そして語り手が物語に集中できるようになってくると、この点がよく見えるようになります。人に言われて気がつくのではなく自分で感じるようになってくると見違えるように語りやすくなるはずです。

 自分のことを振り返っても大事なことは全て始めた段階で教わった気がします。けれどそれがどういうことなのか頭で受け取っただけで、自分の語りに反映できる程身についていなかったのだと今思います。この集中力に関しても客観的に比べられるわけではないので自分が変わっていかないと分からないものでした。そして成長に限界はなく、できるようになると次の世界が見えてくるものだと最近感じています。自分の道を焦らず気負わずにコツコツ進むしかないのがストーリーテリングなのかもしれません。