さじ加減

 ストーリーテリングで子どもに物語を届けていると、聞き手の集団によって受け取り方が微妙に違うことに気がつくようになってきます。同じ物語を渡していてもいつも同じにならないのは、聞き手の受け取り方が違うからだと考えています。この状態に持っていくには、語りながら聞き手をよく感じる必要があります。そのために視線を合わせているのです。目が合うと動揺して忘れてしまいそうというのはストーリーテリングが何をしているのかを意識していないからだと思います。テキストに忠実に間違えないように語ることはある意味重要ですが、そこに集中するあまり聞き手を感じられないのは本末転倒です。間違えないだけの練習と聞き手を感じることは相反することではありません。ただこの感覚を掴むには子どもに聞いてもらう必要があります。子どもに語っていかないと渡す感覚が育たずにわかっているけれどできないと思ってしまうことがあります。

 私たち語り手は技術としてこの相手の呼吸をつかむところも重要です。言葉で意思疎通をする前の赤ちゃんの要求は顔を見ていればわかると言われるのに似ています。自分が子育てをしている時、赤ちゃんを育てた経験のある人が赤ちゃんの泣き方、表情や仕草で「お腹がすいているんじゃない?」とか「おむつだよ」などと要求を言い当てるのを見て感心したことがあります。目を見て語ることはその感じに近いと思います。どう受け取っているのかをおおよそ感じることができるようになったら、自然と相手に合わせた語り方に変化していきます。頭で計算して変えるのではなく無意識に変わる感じなのです。聞き手に合わせるには計算していては間に合わずちょっとしたさじ加減といった感じで微妙なものです。もっというと変えたという意識がないので語っているところを聞いていた仲間に指摘されることがあるために気がつくといった感じです。そして上達していくと変化していることに気がつかれることもないほど自然に子どもたちに合わせて行けるようになります。この変化のさじ加減は聞き手と息を合わせる感じだからです。こうやって説明すると難しい感じがするかもしれませんが語ること、物語を渡すことに集中していくと自ずと到達する領域なのかもしれないと感じています。