何をやっているのか言葉にしてみること

 おはなしざしきわらしの会の勉強会はストーリーテリングをしたりや絵本を実際読んで物語がどう伝わったのかを検証するものです。語り方というより伝わり方を感じることが重要で語っている人よりも聞いている人の方に、より学ぶことが多いと感じています。実際聞くのが上手な人は聞き手が物語を受け取りやすい語りをするようになります。そして語り手にはその日の語り方だと物語がどう伝わったかを伝え、改善点をアドバイスするというの私たちの勉強会です。

 ところが物語が伝わりやすい語りをする語り手のやっていることを説明しようとするとイメージを固めることという、目に見えないものに集中しているとしか言いようがありません。また読み聞かせでも絵を動かしてとか絵を感じてというような感覚的なことをしていたりします。そのため確かめようがないというのが物語を渡そうとしている側の感想だと思いますが、実際違いがあるので聞いて確かめてという話になります。

 昨日も勉強会でイメージを固めるということを短編映画のようと説明した語り手がいました。おかげでその語り手が陥っている問題が見えてきました。その語り手のストーリーテリングは枝葉が繁りすぎて物語の根幹が見えないのです。そのため実際の物語以上に長さを感じ聞き手が積極的に聞かないと受け取れない仕上がりになることに苦しんでいました。ストーリーテリングのテキストには無駄がなく選び抜かれた言葉で形作られているのは事実です。けれど物語の展開になくてはならないものだけしか語られていないということではないのです。物語が受け取りやすい語りをする語り手はイメージを固める際に全ての言葉を可視化していないことに短編映画という言葉で気がつきました。「赤ずきん」を例にあげます。赤ずきんが可愛い女の子であること、中でもおばあさん がこの子に何をしてあげたらいいか困るくらい可愛がっていたこと。そしてある時赤いビロードで頭巾を作ってやったらそれが女の子に似合ったので、女の子はいつもそれを被ったので赤ずきんと呼ばれるようになったと物語は始まります。短編映画だとおばあさんが女の子を抱きしめているような可愛がるシーンやビロードで頭巾を作っているシーンが思い浮かびますが、ストーリーテリングではそこまでイメージしていません。イメージを固める際に必要なのは可愛い女の子と赤い頭巾です。他はイメージを固める際のヒントとなる言葉なのです。全て見せていくと耳で聞くことだけで物語を受け取るストーリーテリングでは冗舌すぎて受け取りきれないのだと思います。イメージを固めるというのは絵本画家が物語を絵で語るように物語の根幹をつかみ出し絵読みできるようにすることに近いと思います。おはなしざしきわらしの会ではストーリーテリングと読み聞かせを同じものだと捉えている理由はこんなところにあったのだと改めて思いました。そしてこんな風に整理がつくのは質問してもらったからであり感覚的なものをなんとか説明しよう、説明してほしいという思いがあってこそだと思います。ストーリテリングを語っている状態は感覚的なもので言葉で説明しづらいことが多いですが言葉にしようとし続けることは結構おもしろいと思っています。