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きんいろのしか

 『きんいろのしか』石井 桃子/作 秋野 不矩/絵 福音館書店 の初版は1968年です。2002年に出版された13刷の版ではバングラデシュの昔話 ジャラール・アーメド/ 案   石井桃子 /再話   秋野不矩/ 画という表記になっています。細々と読み継がれてきた本ですが、残念ながら現在は品切れで手に入りません。この本も子ども時代読み聞かせではなく自分で読んだ本ですが、どこにもそんな言葉が使われていないのにも関わらず、なんとなく教訓的な印象を持ったのを覚えています。そしてその当時弟がとても好きだと言っていたので、私の中では弟が好きな本という記憶のしかたをしている本です。

 この『きんいろのしか』を初めて読み聞かせで聞きました。記憶にあったのは欲張りの王様が金に執着するあまりきんいろのしかによって身を滅ぼす物語だったのですが絵の美しさと物語る力に記憶の中にあった物語とは別物だと感じました。確かに王様は金に執着していますがきんいろのしかはそれを断罪しておらず絵はただただ美しいのです。そして石井桃子さんの再話は耳に残る美しい日本語を使い言葉を選び抜いて昔話の良さを最大限に活かしていると聞いていて感じました。そのためこの絵と文章が織りなす世界は読み聞かせでこそ活きると感じました。秋野さんの絵はホセン少年やきんいろのしかを善、金に執着する王様を悪と単純に捉えずに、それぞれの生き方の違いとしてあるがままに描かれていると感じました。そしてどの絵も美しく芸術性を感じさせます。単純な勧善懲悪など寄せ付けない完成度の高さです。特にきんいろのしかが踊ることで金が降り積もっていく場面などは神々しいばかりです。金という俗な題材を秋野さんの絵が浄化し別世界に連れて行ってくれます。

 私の場合『スーホの白い馬』と同様に読み聞かせではなく自分で読んだために絵の力を十分感じることができずに物語の印象が違ったのだと思いました。そして聞いて確かめることの重要性を改めて感じる出来事でした。ただ読み聞かせで渡したとしても、このタイプの本は心の奥深くに住まうタイプの本なので表面的には大きな反応にはならず、可もなく不可もなくといった反応になるとは思います。けれどこういった本こそ読み聞かせで使わなければ、たくさんある絵本の中に埋もれてしまい忘れ去られてしまいます。画家の力を感じる絵本などそうないことは私たちは体験的に知っています。画家の画力が活かされた絵本の絵の力は侮れないことを心に刻んで絵本を選んでいけたらと思います。