結局は自分に行きついてしまった!

 語り手や読み手は聞くことが大事と何度も繰り返していますが、私たちの環境では積極的に聞く機会を作らないと聞くチャンスがないことを意識するようになりました。振り返ってみて私が読み聞かせやストーリーテリングの手ほどきを受けた頃は、語る機会より聞く機会の方がはるかに多かったのです。感覚的なことで言葉にできないと思ったり理屈じゃないと思うのは聞く機会に恵まれ、聞くことでストーリーテリングや読み聞かせとは何かを学んだという自分の体験があるからだと思います。そしてベテランではないけれど語り手として語り始めている人たちの勉強会に混ぜてもらったのも大きいと思います。指導を受けた藤井文庫の藤井先生のように自分の語りが確立した語り手になると、あまりに自然に語るので何もしていない感じがしますし、自分と同じ初心者だけだと物語より、頑張って語っているということが目立つからです。またぴったりの場所を選べるだけ何種類もの勉強会が存在し、たくさんの語り手がいたことも恵まれていたのだと思います。当時は無我夢中でそこまで見えていたわけではありませんでしたが、ストーリーテリングを学ぶ環境としてはこれ以上の場所はなかったのだと思います。そして勉強会で先輩の語り手と顔見知りになっていくと、語り手しか聞きにいけないおはなしの会なども一緒に聞きに行くようになり、物語をどう受け取っているのかを聞く機会として興味深い体験をさせてもらいました。一緒に聞いたストーリテリングの何気ない感想を聞くことは聞き方のポイントを教えてもらっているようなものだったからです。

 私たちは聞き手を子どもに定めているので、聞き方が違うおとな相手に語ることを積極的にしてきませんでした。けれど藤井先生が企画されていたような聞き手を語り手に絞るおとなの会はもう少し積極的にやってもいいのかもしれないと思います。そしてそれはそこで語る語り手のためではなく、そこに集う聞き手のための会なのだと思います。聞くことが上達しないことには語り手として迷子になるばかりだからです。そして何よりいろいろ言い訳をしながら勉強会で語っていない私に問題があるのだと書いていて気がつきました。変えていけるかどうかは自分次第という結構面倒な事実を掘り当ててしまいました。