物語との距離感

 子どもたちは年齢が低いほど物語の中と現実との境界線が曖昧だと感じています。そして徐々に境界線がはっきりしてくるのですが、いつどのタイミングでというのは子ども時代の自分を思い返してみてもスイッチが入るような劇的な変化ではなかったと思います。人にもよると思いますが私は徐々に薄皮を剥ぐような感じだったような気がします。そして境界線を明確に自覚できるようになっても物語の世界の魅力が薄れることは少なくとも私にはありませんでした。

 読み手が物語をどれだけ楽しんでいるかを、読み手が主人公と一体化しているかで捉えることがあります。けれど物語の中に入り込むことは自分と主人公と一体化することとイコールではないと考えています。物語を楽しむということは、物語の中にいるときに主人公と一体化して自分との境界線が曖昧になることがあったとしても必ず物語の外、現実社会に帰ってくるという経験を積んでいくことです。そしてそれが日常的に繰り返されることで少しづつ物語の中でも主人公に寄り添う自分という形になっていくのだと思います。ですから無条件に一体化できることの方がより純粋に物語を楽しんでいると考えるのは物語の楽しみを狭めてしまうと感じています。

 こう考えると私たちがストーリーテリングをする際に声色の工夫をしたり登場人物になりきったりしないのは、聞き手である子どもたちに登場人物との一体化ではなく自分を持ったまま物語についてきて欲しいと思っているからという言い方もできると思います。物語を物語として受け止めることができることも物語を楽しむ能力のひとつだと思います。そしてこの力が読書することや読む力につながっていると考えています。だからこそストーリーテリングを聞く読書として捉え読書の入り口をつくっていると考えているのです。