物語を楽しむこと

 自分を持ったまま物語の中に入ってきて欲しいとは考えていますが、最近物語の中に入り込めない子どもたちがいます。そういう子たちは、聞く力や言葉からイメージする力が弱いというより自分の価値観でしか物事を捉えられず、自分の日常生活を物語の中に持ち込んで物語の中で起きることを否定していってしまっているように見受けられます。

 物語を物語として捉えられないことは生きていく上でストレスがかかるだろうなあと想像します。物語を物語として楽しめることで想像力が育まれ、それが未来を切り開いたり理不尽なことに対する耐性の基盤になると考えているからです。人生は道無き道を歩くことであり何が起こるかわかりません。事実は小説より奇なりと言われますが、物語をちっぽけな個人の価値観だけで否定していては道無き道を歩くのは困難なのではないかと思います。

 ましてや私がストーリーテリングをしているメインの世代は小学校低学年の子どもたちです。この世代で物語に入れないのは子どもたちの生活している環境の問題でもあると思います。現実社会をきちんと捉え物語などは自分の足で立つことの妨げになるという考え方もおとななら一つの価値観として尊重すべきものだと思います。けれどこれは物語の世界を楽しんだ上で自分で選択して欲しい価値観です。

 物語を知らないのに周囲のおとなが否定しているからという理由で下らないと思い込むのは子どもにとって大きな損失だと考えています。長い人生において物語と現実の境がわからなくなるほど物語に浸る時間は、大した回り道ではないと思います。物語を物語として楽しむことは、子どもが育つ過程で必要なことだと考えています。