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絵読み その2

 絵読みについて説明しきれていないことに気がつきましたが、ストーリーテリングをするようになる以前の段階でも私にとっての読書は物語の世界に浸ることだったので同じ物語をしつこく読んでいたことを思い出しました。そして私の場合この癖のために児童文学を卒業して文学を読むようにならなかったのかもしれません。そしていけないことに文学に移行する時期に背伸びして家にあった日本文学全集とか世界文学全集といった古典の名作を適当に選んで読んだことも何度も読みたい文学作品に出会えなかった理由だと今思います。中学生くらいだったでしょうか。本の装丁も活字組もいかにもおとなの本というそれらの本を読むことに関しては苦労しませんでしたが内容はちっとも心に響きませんでした。登場人物の悩みも行動も当時の私にとって理解に苦しむことが多かったように思います。この調子ですから文学全集ではもう一度読みたいという作品に出会えなかったのです。もう少し頑張って全集を全て読破して結論を出せばよかったのだと今なら思いますが数冊読んでここにはおもしろい作品はないと決めつけてしまいました。私にとって読書は同じ本を繰り返し読むことだったのです。

 児童文学を繰り返し読む時は最初から最後まで通すだけでなくお気に入りの場面を取り出したり、途中から読んだり本当に物語を隅から隅まで楽しんでいました。そしてこの体験が物語の幹を洗い出す作業だったのだと思います。幹がきちんとした話でないと繰り返しに耐えられずに物語として破綻するのです。一回読んだだけでは気がつかないようなちょっとしたつじつま合わせなどが繰り返し読むことで物語の綻びとして気になるようになり納得できなくなる体験をしながら繰り返し読んでも壊れない物語を堪能してきました。そして何が物語を動かしているのかに注意がいくようになり、絵本を見た時に物語を動かしている物を探す癖がついているのだと思います。

 ですから絵読みで何を見ているかといえば、この物語を動かしている物ということかなあと思います。けれどよく言われる作者の伝えたいことというのとは違うと感じています。作品のメッセージではなくあくまで物語の幹というか骨格という感覚です。私の感覚では作者の伝えたいことというと受け取った側の感性と切り離せないものになっていくような気がしているからです。あくまで物語として受け取る側に綻びを感じさせないかどうかという視点で絵を見ることが絵読みなのかもしれません。