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絵本は絵本として出会う

 私は毎月第二日曜日の午前中、love bookうえだというグループで参加者が最近読んだ本を持ち寄って本の紹介をするという集まりを持っています。昨日の集まりで、日曜美術館の「北の息吹を刻む~絵本作家・手島圭三郎 最終作へ~」を見て、手島圭三郎の絵本を紹介してくれた人がいました。私はその番組は見ていないのですが制作過程を丁寧に追ったドキュメンタリー仕立てで、手島さんがどれだけの下絵から構図を決め版を起こしているのか、そしてどう組み合わせて絵本にするのかが圧倒的な迫力を持って紹介されたようです。また手島さんは取材を受けた作品を以って引退されるとのことですので、手島さんの半生にも光を当てて絵本作家としてどう歩んでこられたのかも強く印象に残る番組だったようです。この番組が作られたことで手島さんという絵本作家が広く知られることはとても有意義なことだと思います。現に紹介してくれた人は初めて手島さんの絵本を読んだとおっしゃっていました。けれどこの出会い方はおとなのものだと感じました。そしてこれが今までうまく説明できずにもやもやしていたものの正体なのではないかと思い至りました。

 おとなは作品の作られた背景や制作過程そして美しい原画などから絵本に興味を持つことがあります。けれどその道のりで出会った絵本は導いてくれた情報の影響を受けます。その情報を加味しながら絵本を楽しむのです。まさしく日曜美術館的な出会いです。絵画や芸術作品を楽しむおとなたちは、その芸術作品に対する知識の深さも楽しみを増幅させることを知っています。ですからこういった出会いもとても重要な役割を担っていると思いますしこの出会い方に問題があると思っているわけではありません。今まで読んでいなかった新しい読者が生まれるのですから絵本にとってもありがたいことです。そして絵本である以上新しい読者を増やすことは重要で読まれ続けなければ絵本の寿命は短くなってしまうからです。

 一方子どもはこういった情報なしで絵本に出会います。絵を見ながら読んでもらってどうなのかを絵本そのもので受け取ることで判断しています。絵本そのものだけが子どもにとって重要でそれ以上でもそれ以下でもないのです。どれだけ手がかかったのか、作者がどれだけの想いを込めて作ったのかなどは子どもにとって絵本を楽しむ上で必要なことではありません。ですから作品に関わる情報によって絵本を判断していると絵本を見誤ると思います。そこで読み聞かせをしようとするならまず絵本と向き合うことから始めることをお勧めします。

 その際重要なのは子どもが喜ぶかもしれないという目線に惑わされないことです。絵本の作品としての完成度より子どもが喜ぶものを詰め込んで作られる絵本というのもあるからです。絵本の完成度を見極めるために芸術性を尺度にしようとすると作品が生まれた背景や作品を生み出す技術といった知識で芸術性を見ようとしがちですが、そういった知識がなくとも美しいものは美しいと思います。絵の好みを超えるような美しさや心に残るものがある絵を見分けていくのも読み聞かせをする側の楽しみだと感じています。