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好みと切り離せない

 読み聞かせをするには読む絵本を選ばなければなりません。どの絵本を読むかは読み聞かせをしようとした時に悩ましい問題だと思います。選ぶことを難しくしているのは絵本を読んだ時にどう感じるかは一人一人違う点にあります。そして選ぶことからその人にとっての価値が生まれるので自分以外の人に選ぶこと自体が不遜だという考え方もあるくらいです。もちろんこれだけたくさんの絵本が出版されているのですから、どの絵本も誰かの一番であろうことを否定している訳ではありません。それでも子どもに絵本を渡そうとしたら子どもの反応だけを頼りに選ぶのは無理があります。加えて読み手である私たちも自分の好みから自由ではいられません。そのため親が代わりに選べば問題がないようにいわれることもあります。けれど子ども時代は好みすら含めて成長過程ですし親と好みが全て一致する訳でもありませんから、出会いの機会は必要だと考えています。自分以外の人が選んだ絵本を聞くことの意義はあると思います。

 一方、それでは出会いだから自分が気に入っている絵本ならどれでもいいのかというとそれもまた極端だと感じています。絵本は非常に守備範囲が広いというか懐の深い表現媒体です。それは作家の表現したいことをどのようにも表すことができるということです。そして読み手を意識して作られることもあれば、読み手を意識せずに作られることもあります。そのため誰にこの絵本を渡すのかというのは読み手の判断に任されているとも言えます。

 そこで読み聞かせをしようとする時には、この絵本は誰にどんな形で渡したらこの絵本の魅力が一番引き出せるだろうという視点が欠かせません。読み聞かせの主役は絵本だと考えているからです。集団に対して物語を丸ごと渡す読み聞かせに使う絵本は絵だけ見ながら止まらずに最後まで読んでもらって楽しめる絵本です。ここがクリアされていれば読み聞かせに使えます。結局読み聞かせに使えるかの判断をするためにはじっくり絵本と向き合う必要があります。絵読みをして文章を聞いて確かめるという手順をきちんと踏むのは自覚していなくても読み手がどこかしら好ましいと思う絵本だからだと思います。自分の好みを警戒しなくても大丈夫なのは、読み聞かせに使えるかというもう一つの基準があるからだと考えています。