語って伝えられてきた底力

 子どもたちの聞き方が変わってきた理由に、体験が少ないことがあげられると思います。安全で衛生的で快適な生活を追求してきた私たちは、様々なものを排除してきました。例えば火を見たことのない子どもが増えてきています。火を使わなくても煮炊きができ暖房やお風呂なども火を使っているとしても燃える様が見えない仕様になってきているからです。ですからストーリーテリングをする際にろうそくに火を灯して語るのですが、火をつける段になると危ないと騒ぐ子どもが出てきています。

 そんな中で火を扱う物語として思い浮かぶのは東京子ども図書館の『おはなしのろうそく2』に入っている「スヌークスさん一家」です。日常生活では火を使ったことがないどころか見たことがない子どもたちにとって家族全員が息の吹き方に特徴があって誰もうまくろうそくの火が消せない「スヌークスさん一家」の火が消えないもどかしさとおかしさは日常的に火を使っていた時代の子どもたちと同じように受け取ってはいないのだと想像しています。けれどストーリーテリングで語られるものは物語を聞くことで全体像が受け取れるようになっています。やったことのないことが混じっていてもおおよそどんなことか想像できるように作られています。これは読書にも通じる話です。知らない言葉や見たことがないものが出てきても前後でなんとなくわかるというのが物語の力だと考えています。ですから以前と同じようにイメージが十分伝わりスカッとした笑いにならなくても語っていくことは大事なのだと思います。

 昔話は活字になる前は長いこと語ることで伝えられてきました。そして聞き手はなんらかの形で生活を共有している人たちの集まりだったのだと想像しています。家族や近所の人、親戚なども含まれていたのでしょう。聞き手の人数も年齢も時間もまちまちのまま一緒に聞いてきたのだと思います。この聞き手を選ばない中で語られ残ってきたことで、昔話は聞くだけで理解できるものになったのだと考えられます。そのため昔話は聞き手の経験値が違うことも織り込み済みなのかもしれません。

 長く活動してきたために、私たちはイメージを共有し合う息のあった聞き手を知っています。そのため今の子どもたちの聞き方に物足りなさを感じ、子どもたちの現状を嘆いてしまいがちです。けれどそれでも昔話は経験が足りない聞き手にも物語を伝える力があります。子どもたちは昔話を繰り返し聞いているうちに想像力が育って物語を楽しめるようになります。子どもたちが体験不足で聞き方が今ひとつなら、子どもたちの聞く回数を増やすことで対応するしかないと考えています。どこまでいっても私たちの活動は地味で継続性がものをいうものだと改めて思います。