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頭でっかちにならない

 物語を受け取る時は物語の中に入り込むことが大切です。これは絵本の読み聞かせでもストーリーテリングでも同じです。例えば絵本の読み聞かせを聞く際に絵だけを見るというのは物語に入り込む方法として一番手っ取り早いからです。大事なのは物語の中に入るために見ることです。そのためには聞いている文章も大事なのです。語られる言葉が絵のどこを見ればいいのかを教えてくれ絵と文章を同時に楽しむことを助けるからです。けれどおとなは絵を見る力も物語を聞く力も十分にあるので気が散りがちです。物語とは関係ない画面の中に描かれているおまけのような絵の発見を楽しんだり、語られている言葉の言葉じりを捉えて考え込んだりしながらでも余裕で物語を受け取ることができます。こんなふうに物語の展開と直接関係ないことを考えることが気が散っている状態です。気が散っていると物語の中に入り込むことができず、読み聞かせやストーリーテリングの本質を理解することができません。

 一方おとなは学校教育で知識を取り込むことのトレーニングを受けていますから、効率よくポイントを押さえて学ぶことが得意です。そのため「絵読みをする」とか「絵と文章が一致している」とか定義を覚えることは苦にならないことが多いのです。そのため絵本を見る際に何が大事かあげることができるのですが、応用が利かず初めて読む絵本に対して当てはめることができなかったりします。この感じは私にも覚えがあります。学生時代、数学の公式を暗記したはいいけれど実際に問題を解く際にどの公式を当てはめたらいいのかわからなかった体験があるからです。そして数学が得意な人は公式など覚えなくとも答えを導き出すことができるのを見て理解するというのはこういうことかとうらやましかったものです。多分ちゃんと時間をかければ数学が得意でなくとも理解できたのでしょうがきちんと理解しようとせず手っ取り早く結果を出そうとしたために起こった事故だったと思います。

 私たちが取り組んでいる絵本の読み聞かせやストーリーテリングも同じです。近道はないのだと思います。ぱっとわかることが大事なのではなく、自分の中に浸透するような理解が大事です。そして物語にはじっくり付き合う楽しさがあると私は思っています。ただ実際読んだり語ったりという声で伝える作業ですからちょっとしたことで自分をコントロールしきれない状態に陥る部分もあります。理屈はわかるけれどできないということが起こることもあります。そんな時捨てるべきなのは理屈です。まず聞く時は耳をすませ絵に目を凝らして物語を受け取ることだけを考えることで物語の受け渡しをする感覚の土台ができます。そしてその土台ができてくると語る時の助けになり理屈抜きで伝えられるようになっていくのだと思います。