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聞いて受け取る

 聞いて理解できるという考え方は、ストーリーテリングだけでなく喋ることで情報を伝えるアナウンサーなどでも意識されることのようです。そしてアナウンス原稿の字面を正確に言えたからといって内容が視聴者に伝わるとは限らないと言われています。何のことか話している本人が理解していないと言葉だけが上滑りするからです。同じニュースでも読み手によってわかりやすいと感じたり、なんのことかさっぱりわからないと思ったりするのは、発信者側の内容の理解度と比例すると考えると納得できます。ただ画像が使えるので視覚的に補強することができますから、それほど理解に努めなくても仕事としてはこなせます。ですから内容を理解して伝える能力を磨いている人とそうでない人が出ているのだと思いますし、聞く側もその違いを意識しない人も多いのかもしれません。

 けれど時代を遡るとラジオが主流の時代がありました。視覚的に補強できませんからアナウンサーも理解して伝えることが当たり前だったでしょうし、聞く側も聞くことが日常的だったため意識せずに聞く力が磨かれていたように思います。ですからラジオが生活に根付いていた時代を過ごした世代の方は押し並べて聞くことに対する感度が高いと思います。そして実はこの感覚があったことが子どもの本を作る際に効果的に働いたのではないかと想像しています。ラジオ世代の作家、訳者は日本語の能力が高く言葉のセンスが抜きん出ていただけでなく聞くことに対する感度も高かったために完成度の高い子どもの本ができたのではないかと考えています。今新しく翻訳する人たちは当然ラジオ世代ではありません。新訳が旧訳に歯が立たない感じになることがあるのは、この聞く力の差もあるのではないかと推測しています。子どもの本、特に絵本は自分で読むだけでなく読んでもらうこともあるため聞いて理解できるのかという視点が意外と大事なのだと思います。

 私たちはストーリーテリングをすることで、この聞く力を育もうとしています。そこで語り手である私たちも聞いて理解することに敏感になりたいのです。耳だけで内容を受け取ることは聞く力を磨くことになります。ストーリーテリングを聞く時だけでなく、普段の生活でも聞いて受け取ることに注目してみるのも大事だと考えています。