話術なのか?

 ストーリーテリングを聞いたときに楽しいと感じる要素として語り手の話術よりも物語の力が大きいと感じてきました。物語を活かした語り方ができるかどうかが重要で語り手が物語に色をつける余地などない物語がストーリーテリングのテキストとして優れていると考えてきたからです。ただストーリーテリングを聞き慣れない方にとってはその違いがわかりにくいのかもしれないとは思います。そして聞き慣れていてもこれは話術が勝っていると思う語り手もいらっしゃって整理しにくいと感じています。

 おはなしざしきわらしの会としては、ストーリーテリングは物語の力が大事だ考えるので、テキストがきちんと選べることは重要です。そしてテキストを選ぶのは、どの物語を語ろうか決めるときです。そんな中で注意が必要なのは誰かが語っているのを聞いて語ってみたくなるときです。おはなしの会では語った話の出典が紹介されるのが常ですから、テキストにたどり着くのは簡単です。けれどそのおはなしに取り組む前に、もう一度物語を思い返してください。語りたくなった理由は聞いておもしろかったからだと思いますが、それは物語がおもしろかったのでしょうか。それとも語られたことでおもしろかったのでしょうか。それって同じことだと思われるかもしれませんが、実はこの視点が話術の度合いを見極める物差しです。特にこの人の語りでしか聞きたくないと思うほどの内容だったらかなり話術が勝っています。とはいっても話術が目立つことが悪いことなのではありません。語り手の個性でもあるからです。けれどその語り手の話術なしでは成り立たない物語は、物語の力が弱いと考えています。

 私たちに必要なのはこの見極めです。テキストのない伝承の語り手の語りはこの語り手の話術によって成り立つことが多いものですが、テキストになっているものでも話術が必要なものがあるので注意が必要です。語り手は額縁だというのは主体が物語というだけでなく話術が前に出過ぎることを戒めている部分もあると感じています。