コロナ対応の学校では

 おはなしざしきわらしの会は公共図書館での月1回のおはなしと本の会以外に出張おななしの会をしていてその中に毎年読書旬間に声をかけてくださる小学校があります。小学校でのおはなしの会は各学校に読み聞かせのボランティアグループが結成されて以降、声がかからなくなっているので、その学校の読書旬間のおはなし会はクラス単位の小学生に語る貴重な機会になっています。

 小学校でのおはなしの会は子どもたちが身を寄せ合う形でできるだけ小さく固まって床に座ってもらい行っていましたがコロナ対応をするようになって教室の机の並びを変えずに教室いっぱいに広がったままで行うようになりました。私たちのメインはストーリーテリングなので聞き手同士が距離をとって広がって座っていても問題はないのですが、今まで語ってきた感じと違うので語り手として戸惑う部分もあります。聞き手の実際の人数と集団の大きさが一致しない感じがするからです。戸惑いの原因はストーリーテリングをする際には聞き手にコンパクトに座ってもらっていたのでその感覚で集団の大きさを感じる癖がついているからではないかと思います。目が合う人数で集団を感じると実際後ろの子とも目を合わせているにもかかわらず、無意識に以前のようにコンパクトに座ってもらっているサイズに集団を小さく捉えてしまいそうになります。こうなってみて私たちの集団の捉え方は人数より子どもたちの座っている空間のサイズ感だったのかもしれないと感じています。語り手は広がって座ってもらっている時は実際の人数より聞き手の数が多いと思った方が良さそうです。コロナ対応の学校でクラス単位で語る時は実際聞いてくれている人数の倍の聞き手がいると思うと語りやすいのではないかと思います。

 加えて語り手は聞き手に物語を渡すことが大前提なので、聞き手の人数によって無意識に声の大きさなどを微調整しています。聞き手の目を見ながら語るのも届いていますよねというアイコンタクトでもあります。そして聞き手の目を見ることで聞き手の集団の大きさを感じています。聞き比べたことはありませんが、30人に向けて語るのと10人にむけて語るのでは私たちの語り方は変化するのだと思います。ここで大事なのは意識して変えてはいないところです。聞き手にいかに向き合うかということが重要で小手先のテクニックではないと感じています。誰に渡しているかを強く意識はしますが渡そうと足掻くと物語のバランスが崩れるので語っている際は物語に集中し続けているだけなのです。声も大きく出そうせずに一番後ろの子どもが聞こえるだろうかという意識をしてはいますが、今までよりも一番後ろを強く意識しないと対応できない感じがします。ストーリーテリングがやりやすい形に調整できない分、今まで通りに語ると違和感が出ることがありますが、基本に忠実に語ることプラス聞き手の座り方や人数の捉え方をコントロールすることで調整できると考えています。