時間がもたらすもの

 こうやって毎日自分の考えていることを書いていると、歳を重ねるにつれて自分が変化してきていることに気がつきます。この変化は子どもたちと向き合ってきた時間と自分が歳を重ねたことが混じり合った結果のような気がします。おはなしのお姉さんとして子どもが育つ過程を知らずに子どもたちと向き合ってきたところから母になり一筋縄ではいかない子どもの育ちに振り回されそして祖母世代になった今、これはおばあちゃん目線だなあと思うことが増えてきたように思います。そして子どもを見て可愛いと感じるポイントが実際子育てしていたときとは違ったところにあるような気もしています。

 こうなってくるとストーリーテリングの手ほどきをしてもらった藤井先生がおっしゃっていたことを思い出します。30年以上前に私が語った赤ずきんを、語り手が赤ずきんの年齢に近いことを感じさせると言われ、その時は近いといっても赤ずきんとは親子ほど歳が違うのにと思いましたが、今になるとその感じがわかる気がします。当時は赤ずきんとおばあさんだったらあかずきんの年齢に近く、今はおばあさんの年齢の方が断然近いのですから先生のおっしゃったことはこういうことかと思います。赤ずきんは途切れることなく語り続けている物語なので、特に意識はしませんでしたが多分少しずつイメージが変化し語り方も変わっているのだと思います。

 私たちのような現代の語り手はストーリーテリングをする時にはこまめに聞き合うことが推奨されます。語ったことのある物語でも聞き合うことが大事だと言われるのは、ストーリーテリングの語り手が長く活動するからだと最近思います。語り手が年齢を重ねると自分のイメージの微調整が必要になるのだと実感するようになりました。語り続けている物語は無意識に調整されていきますが、久しぶりに語る物語はものによってはイメージを作り直す感じになるのかもしれません。語り続けてこなかった物語は自分との相性が良くなかったと思うものがありますが、今語ったら違う結果になるかもしれないと思います。新しい物語に取り組むのも楽しいですが、お蔵入りをしている物語に再挑戦するのも楽しいかもしれません。