語り手が変わると

 ストーリーテリングはイメージを固めてそこに言葉をのせているので、語り手の感性が滲み出るものです。これは感情を込めている訳ではなくイメージを固めることで語り手の色がつくという感じです。例えば物語の始まりの「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。」といった常套句でも語り手によってイメージしているおじいさんおばあさんの姿が違います。このちょっとしたイメージの違いが物語全体に行き渡った結果が語り手の色がつくことだと考えています。自分の特徴を出そうとして変えているのではなくぴったり同じイメージを持つことがないことがストーリーテリングのおもしろさでもあります。おとなはこの違いを感じることが好きでどの人のどの話が好きという言い方をしたりします。けれど大事なのは物語が物語として成り立っていることです。一つ一つのイメージが微妙に違っても物語の骨格が揺らぐことはありません。逆に骨格が揺らぐような語り方の場合はイメージの整合性が取れていないと考えます。細部にこだわりすぎると物語の骨格が揺らぐことがあるので注意が必要です。

 加えてストーリーテリングにはその物語が物語として成立するストライクゾーンがあると考えています。そのストライクゾーンには幅がありギリギリのところで収まっているもの同士を比べると特に印象が違うことがあります。けれどストライクゾーンに入っていればいいのだと考えています。ストライクゾーンに入っていれば物語として受け取ることができるからです。この感じは同じ話を違う語り手で聞く機会が多ければ多いほど実感できます。おはなしの会では同じ話でプログラムを組むことはありませんが勉強会で複数の語り手が同じ話を語ることがあります。語り手にとっては嬉しい状況ではなくても聞き手にとっては得るものが大きかったりします。ストーリーテリングをする人はストーリーテリングを聞くことが何より栄養になるのだと考えています。