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最後は集中力?

 何かと気忙しい12月に毎年アカベラのクリスマスコンサートをしている団体に所属しています。本番前は練習の密度も上がるので修正点の指示がそれこそ雨霰のように降ってきて、パンクしそうな状態になります。基本的に指導者をおかずに対等な関係ですが、メンバーの実力差はあるので音楽を作るという点で当然導く人がいるのです。毎年この時期は正直憂鬱です。完成度を上げようと完成形のイメージが明確になればなるほど自分が再現できないもどかしさと指示された音色やピッチを聞き分けられない自分の耳に嫌気が差すことも多いです。そしてなんとかしようと指示を守ることに固執して体をうまく使えなくなり、どんどん求められているところから離れていってしまうという悪循環に陥るのです。

 こうやって毎年苦しんで来ていますが最近ストーリーテリングも一緒だと思うようになりました。こうしなければならないということが念頭にあるうちは多分物語を物語として伝え切れていないのだと思います。思えばストーリーテリングをしている時はただひたすら物語に集中しています。歌もストーリーテリングも始めたら終わるまで止まれずにやり直しはできません。聞き手に渡して完成というところも似ています。歌もストーリーテリングも最後はいかに音楽や物語に集中できるかという単純なことなのだと思います。ただストーリーテリングでこの境地になったのは最近のことですし向き合った時間が違うのでこれがわかったからうまくいくというものでもないのだとは思います。物語にせよ歌にせよ楽しむことが大事というのも雑念を払い集中するための方法なのでしょう。答えを知っていてもできるとは限らないということに向き合っているのだと感じています。