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音読の功罪

 読み聞かせはお互いに聞き合うことが基本で、子どもと同じように絵だけに集中して文章を聞き、物語を受け取る経験がとても重要です。どう聞こえるのかを知っていることで聞き手が物語を受け取りやすく読むことできるからです。

 例えば接続詞を読む際に語尾をあげたり、ためて読むことは聞き手の理解を促し物語を魅力的に見せる読み方だと読み手は思いがちです。けれど実際聞くと物語が冗長になり集中しなくていいところで集中させられて受け取る側にとってはありがたいことではありません。これは聞き手に回ると簡単に理解できます。ただ聞き手に回った時に同じ読み手の視点を持ったまま聞くと、なんて巧みに読むのだろうという感想になってしまい聞き合う意味が薄れます。あくまでも物語を受け取る側として聞くことが大事です。

 私は絵本の読み聞かせをおはなしざしきわらしの会の勉強会で聞くことが多いのですが、図書館講座でも受講者に読んでもらうことがあります。皆さんに聞く側の経験を積んで欲しいと思っているからです。そんな中で参加者の方の質問から読み手の意識とは違った形に聞こえることがあるのだということが見えてきました。今日の読み方がどう聞こえたかを伝えたら、そんな風に読もうとしていないというのです。登場人物の言動に読み手が感情をのせているように聞こえたのですが強調したつもりはなく普通に読んでいるという感覚だったそうです。これを聞いて小学校で指導される「気持ちを込めて読みましょう」の影響ではないかと思いました。意識せずとも音読することイコール気持ちを込めて読みましょうになっているのではないかと思うのです。

 私は国語の授業で行われる音読は読解力を育むためのものだと考えています。この音読は行間を読む訓練を兼ねていて、登場人物の気持ちを汲み取っている読み方が推奨されます。これは国語の授業としては重要なことだと思いますが、個人の読み取ったものを声にのせるため非常に個人的な読み方で授業だからこそ必要なものだと思います。そのため物語を物語として渡す際にはこの読み方を避けた方が物語が伝わると考えています。どう受け取りどう解釈するかを聞き手に任せたほうが物語が楽しめると思うからです。そして小学校での音読の癖がついている人は物語を物語として渡す読み方をたくさん聞くことでしか修正が効かないのだと思います。ぱっと変えられるものではありませんが必ず変わるので気長に取り組んで欲しいと思います。