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迷いながら

 自分が知っているからといってそれを教えられる訳ではないと感じています。自分がわかったことを伝えようとしてきましたが、なかなか思うように伝えられないことが多いのです。私が対面でやりとりすることが好きなのは、相手の疑問を具体的に掘り下げることができ、そこから説明の糸口が見つかることがあるからです。

 先日、図書館講座で文章のないページのある絵本の読み方の質問をもらいました。文章のないページに関してはよくもらう質問です。回答としては、そこに描いてある絵がその場面でどう動くのか感じ、動きをイメージしてという答え方をいつもしています。文章がなくともそのページが語っていることがあるからです。それを読み手が感じていることで見ている子どもたちも物語の中に留まりそこで起こっていることを楽しめます。声に出すことと違って伝わっていることを実感しにくいので戸惑われる方も多いのですが、実際読んでみるとその違いを実感することができます。きちんとページの中の出来事を読み手が感じているとなんで読んでくれないのといった反応は起こりません。完成度が高い絵本は文章がないことに疑問を感じさせたりせず、あえて絵だけで伝えることの意義があるのだと感心します。けれど質問者によく尋ねてみると、その質問の元になった絵本を読み聞かせに使うことから考えたほうがいいと感じました。そして質問者が欲しかった答えは文章のない絵本のページを見せる際の目安でした。時間としてどれくらい見せたらいいのでしょうかというのが知りたい内容だったのです。これは文章のある無しに関わらず読み聞かせをする読み手の立ち位置というか姿勢がどういうものかというところから説明する必要がある質問です。

 こんな時対面で話をすることの意義を感じます。私も新しいことを始めると何がわからないのかわからないということはよくあります。何がわからないのかわかったら苦労はしないともいわれます。そしてやり続けていることでも新たな発見は多く、わかったつもりでわかっていないことも多いです。成長は果てしない螺旋階段を登ることのようだといわれます。なんの変化もしていないようでも迷いながら悩みながら続けているうちに思ったより高く登っていることはあるのだと思っています。