物語を聞いて受け取ること

 今月、2年生に「マーシャとくま」を語っています。「マーシャとくま」はロシアの昔話で森で迷子になったマーシャが熊の家に迷い込み熊に捕まって家に帰れなくなる話です。どうしても家に帰りたいマーシャはつづらの中にお菓子が入っていると熊に思わせ自分もつづらに入って家へ運んでもらおうとします。途中で熊につづらを開けられては困るのでつづらを開けてお菓子を食べてはいけないと熊に言った上で高い木に登って見張っているからと熊に言います。言葉通りに受け取った熊は途中でつづらを開けようとするたびにマーシャの声が聞こえて止められるのですが・・・という展開です。ところが最近語っていて受け取り方に不安を感じることがあります。大真面目に聞いてくれているのですが、なんとなくマーシャがつづらに入っていることが伝わっていないのではないかと思う聞き方をしている子がいるのです。マーシャがつづらを開けてはいけないというたびに、マーシャが見つかってしまわないかソワソワしたり、マーシャが考えた通りに事が進むことにワクワクしながら聞いている感じではなく、マーシャがよっぽど高いところに登って見張っているんだなという熊の感想に納得しているような聞き方をしている子が混ざっている手応えです。こんな場合マーシャが隠れたのがつづらというイメージしにくいものが出てくるからと思いがちですが原因はそこではないと感じています。つづらがイメージできなくてもマーシャが潜り込めて熊が背負えるものという事が語られているからです。イメージしているのが本物のつづらではなくとも蓋がある袋でも箱でも物語の展開には問題がありません。ですからうまくついて来れない理由は物語を聞き慣れていないためにセリフに気を取られ物語の筋が追い切れていない状況なのではないかと推測しています。そして受け取れなかった部分を補足として解説してしまっては物語の楽しみを台無しにします。多分わかった分だけでいいのだと思います。だからこそ同じ話を聞く機会があっていいのだと思います。ストーリーテリングは語る方も物語を聞く力が必要ですが、聞き手も聞くことの経験値が問われるものだと感じています。