聞くのも語るのも楽しみ方は同じ

 物語を聞いて受け取る事が上達すると物語を聞く事がとても楽しくなります。特に自分は語らなくていい日に聞くと物語に集中できてより楽しいと思う事があります。けれど聞くことと語ることは表裏一体で切り離せないものではないかと感じるようになりました。実は聞き手であると同時に語り手であることが非常に重要なのだと思います。おはなしざしきわらしの会では読み聞かせの際、「読み手は一人目の聞き手」という言い方をしますがこれはストーリーテリングでも同じ事が言えます。

 物語を語るというのは物語の展開を伝える役です。聞いて受け取りやすくするためにイメージとして登場人物や場面を設定しその行動や状況が変化していく様を言葉で伝えているのがストーリーテリングの語り手です。ですから自分に登場人物を投影して役になりきったりはしません。なりきると情景や他の登場人物が無になり聞き手に伝わらなくなるからです。同じように映像でよくみるアングルを変えるとかアップにするとかの視線の変化をイメージすることはあまりありません。変化させると語っている側も聞いている側もどこにいるのかがわかりにくくなるからです。伝える役だからといって違うことをするのではなく同じものを見て展開を共有しているという点で語り手と聞き手は同じ物語世界に留まれるのだと考えています。

 ですから物語を楽しむ感覚としては聞くことと語ることに大きな差はありません。聞くことだけに特化してしまうと評論家のような聞き方になりがちです。語られたものを物語として受け取ることは語り手が見ているイメージを受け取ることなので優劣がつくものではないと思います。勉強会でどう聞こえたかを伝え合うのは物語として成立しているのかを確認しあっているのであって、個々のイメージの豊かさを競っているわけではありません。ですから聞くことと語ることを両方楽しんで欲しいと思います。