昔話大好き

 私は昔話が大好きでどうしてこんなに惹かれるのだろうと考えることがあります。昔話は世界中にあり文化や生活様式に共通点がなくとも自然発生的に生まれ口伝えで伝承されてきています。そしてその地域でしか楽しめないものではなく、知らない土地の昔話でも時代背景や風習が分からなくてもちゃんと楽しめるのです。

 どうしてこんなことが起きるのか考えたときにまず言えるのが人間が群れで暮らす生き物だからではないかということです。群れで暮らしていると自分以外の人の動向が気になります。どこで誰が何をしたそうだという噂話は動向を知るには最適で群れで暮らすときには欠かせません。噂話ですから信憑性に欠けるところはありますが私たちは噂話になんとなく心惹かれます。聞いて興味を惹かれることも重要で、正確な情報のためだけに話しているわけではないからだと想像しています。

 ですから徐々に話が大袈裟になるのは、その場の聞いて楽しかったという思いを反映した結果なのだと思います。昔話はこの噂話から出発し聞き手をおもしろがらせつつどんどん聞いて楽しめるものに形を整えていったものではないかと思います。聞いておもしろいと思った人が次の語り手になり昔話は聞き手を変えて広がっていき具体的な名称や地名を失いつつ時代をも越えて楽しまれてきたのだと想像しています。

 そう考えると活字に起こされた昔話は時代に評価されたものともいえます。文字ではなく口頭で伝え、後世まで残るためにはたくさんの人が関わる必要があります。その手間が惜しくないくらいには昔話は人々に愛されてきたのだと思います。そして長い間に使う言葉は厳選され、いい回しに磨きがかかり地域や国を超えて広く共感が得られる物語になりました。そしてその中に人間の本質が織り込まれた形で語りつがれてきたのだと思います。ですから昔話を聞くことはおもしろいのではないでしょうか。贔屓の引き倒しのような文章になりましたが、やっぱり昔話はおもしろいと感じています。