肉声の魅力

 私がストーリーテリングが好きなのは、言葉で伝え、言葉で受け取る行為が好きだからかもしれないと思います。言葉だけで物語の世界をその場にいる人たちと共有する満足感は、他のことでは得ることができない特別なものだと感じています。物語の世界を楽しむなら読書でも満足感が得られますが、肉声にのせて多分二度と同じ形では受け取れないだろう特別な一回を受け取るのはストーリーテリングだけだと思います。

 読書は物語と自分が向き合って物語の隅々にまで光を当てるようなものだと感じています。ですから繰り返し読むことも楽しみのひとつで特別な一回というようなビリビリした緊張感はありません。むしろ腰を据えてどっしりと浸るものだと思います。

 けれどストーリーテリングは2度目はありません。たとえ同じ話を同じ語り手が語ったとしても聞き手が変わると同じテキストで同じに語っているつもりでもそっくり同じにはならないのです。実際2回続けて同じ話を語ることがありますが、微妙に感じが変わりストーリーテリングは聞き手と作っていることを自覚します。また語り手の今が反映されるので人生経験や体調や実生活での感情の揺れが見え隠れすることがあります。このように人としての揺らぎや変化が滲み出ることが肉声の魅力だと思います。だからこそ同じ話を何度聞いてもおもしろいのだともいえます。

 そしてこの一回きりという儚さもストーリーテリングの魅力で、だからこそ一回一回真剣勝負なのだと思います。留めておけずに消えてしまうこと、終わってしまうことに取り組むことに無力感を感じたことはありません。録音された物語を聞くのは集中するのに努力が要りますが生で聞くと何ともいえない緊張感が物語の推進力になり物語の世界へ誘われると感じるので、たとえ留めて置けなくても生で語ることが重要だと考えているからです。肉声で語られることで聞き手は人を感じ、言葉の力を感じます。そして人と言葉で同じ世界を共有する行為は安心感をもたらします。人は一人では生きられないと言いますが一人ではないことを感じさせてくれることも私がストーリーテリングが好きな理由の一つかもしれません。